自由と社会的責任

自由と社会的責任

最近若い世代が、やたら「○○するのは自由だ」というのに、非常に違和感を覚える。
それに関連して、今日のテーマは、「少子高齢化」とそのツケ。

すでに破たんした年金制度

人口が減ったら、日本はおしまいだ!という論調の背景として、戦後ずーっと維持してきた年金制度によるところが大きい。
「少ない年寄り」を「たくさんの子ども(≒労働人口)」がささえる、という仕組みが年金制度だ。
「若者はさっさと子どもを産め」「子どもは国の宝だ」と、
戦前で失った若者人口を取り戻すべく、生き残った男女は多産を余儀なくされた。
その結果、労働人口が増え、日本は経済成長を遂げた。
当時、子育ての環境は今より劣悪だったが、今では珍しい「大家族制度(2世帯以上が同じ家に同居)」が残っていたことが、子育てを促進し、子どもが増えやすかった大きい要因だと考えられる。
戦後の多産時代(ベビーブーム)

豊かになり、「将来」を考えずに「自由」を謳歌する若者

ところがだ。
高度経済成長後、国民が豊かになると、「自由」というキーワードが謳歌する。当然世帯収入が増えると、できる選択肢が増えてくるからだ。
本来の「自由」は「責任」を伴う。特にこの責任とは、「社会的責任」だ。それを知らない。もしくは忘れている国民は、「○○するのは個人の自由だ」と主張した。
その結果、徐々に都市部に「核世帯」が増えていくことになる。
そして、バブル期以降、現役子育て世代の一部が「責任なき自由」を謳歌したおかげで、子どもを産む家庭が少ない、そもそも結婚しないといった傾向が強まり、少子高齢化を招いた。
そのツケは、結局「責任なき自由」子育て世代が年取ったときに大きな代償を払うことになるだろう。
自由を謳歌しすぎたバブル世代

急に貧困に直面する可能性が高い、若者の「将来」

資産をほとんど持っていない、稼ぐすべを知らない今の若者は、60才すぎたらどうするのだろう?
不労所得があるならまだしも、年金が出なかったらどうやって生活するのか?
若い世代でよく友達と遊んでいる連中は、「年取ったら友達に助けてもらうから大丈夫だ」という。
ところが、友達と遊ぶにしても、足腰や目・肩・腰が衰えてくると、友達同士で遊ぶ機会は日に日に減っていく。
それどころか、定年70まで働く必要が出てくるが、そのとき大半の仕事は、ほとんどAIによって自動化されてしまうだろう。
また、年取ったら、必要な医療のお金はさらに膨らむ。
乱暴な議論だが、今の仕組みでは、年寄りの医療負担の大半は、若い世代の税金でまかなわれている。若い世代が少なくなる我々の世代(30代)になると、それこそ医療負担5割の可能性だってあるのだ。
高齢化社会

「自由」と「社会的責任」はバーター

自己の責任で自由を謳歌するのは、それこそ「自由」だが、年取ったときに年金が満足にもらえず、医療負担にあえぐ生活を余儀なくされ、それでも国の責任にしても、何も解決しない。
それこそ「自己責任」であろう。
何度でも言うが、「自由には責任を伴う」のだ。
つまり、年老いたときに自分一人でも自活できる力があって、初めて「自由」を謳歌できることを、日本人、とりわけ若い世代は強く認識すべきだ。
そして、その自信がないのであれば、子どもを産み育てることだ。子どもが一番の「投資」であり、「資産」になることは、歴史が証明している。
子どもは最大の資産
私の場合は、年取ったときに、
「年金が支給されない」
「医療全額負担」
「観光地以外は全部スラム街」
そんな悲惨な末路をたどる可能性が高い日本で、生活できる自信がない。
そして、せっかく生まれた命なんで、日本と東南アジアをつなぐ「一仕事」してから死にたい。だからこそマレーシアに拠点を作っている。
異国の地で生きる「自己責任」の方が、日本に比べてはるかに大変だが、やりがいがある。