貧困報道に見る違和感
最近、子どもの貧困というフレーズをよく目にすることが多い。
どうやら「6人に1人」は相対的貧困に陥っているらしい。
特に子どもの貧困について、よく「相対的貧困率」という言葉も併せて飛び交っている。OCED(※)の調査によると、以下のグラフの通り、日本の相対的貧困率は年々悪化の一途をたどっている。
※Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構。
貧困JKの炎上で浮かびあがった「相対的貧困」とは?
ところで、その相対的貧困、子どもの貧困について1つの事件があった。
ご存知の方もおられるかもしれないが、相対的貧困の実態について炎上した「うらら事件」だ。
貧困JKの炎上で浮かびあがった「相対的貧困」とは-NAVARまとめ
NHKとしては、進学したくても進学できない女子高生を題材に上げ、
「相対的貧困」の実態について報道した。
ところが、「相対的貧困」の定義や意味の解説が不十分であったため、
視聴者がイメージしていた絶対的貧困(後述)とのイメージがかけ離れた実態に怒り、「ねつ造」との声まで上がってしまった。
この件については、当の女子高生も被害者の1人である。
では、今回の事件は何が問題だったのか?
絶対的貧困と相対的貧困の違い
絶対的貧困とは、言葉通りである。
即ち「人間として最低限の生活を営むことができない」状態のことを指す。
「その日の生活の糧」も稼げない状態で、栄養失調や不健康、教育(この場合は、義務教育)が満足に得られていない状態をイメージすればわかりやすいだろう。
この状態の人間は日本にほとんどいないといってよい。
対して、相対的貧困は非常にわかりずらい。
OCEDが定義したのは、「各国の等価可処分所得の中央値の50%以下で暮らす」人たちだ。しかも、預貯金や不動産資産は、等価可処分所得に含まれない。
この言葉の実態はともかく、言葉の定義に日本国民を当てはめると、日本人の約6人に1人は貧困ということになる。さらに、シングルマザー・シングルファザーを対象に集計すると、54.6%(シングルマザー・シングルファザーの2人に1人)は貧困ということになる。
このような実態が知られていないのが、相対的貧困なのだ。
相対的貧困のあいまいさが解決を遠のかせる
ここからは、感情論で論破しようと思う輩をフルボッコにしてやりたいのだが、
「相対的貧困」を国に助けてもらおうとしていないだろうか?
「絶対的貧困」は、石原プロモーションが東日本大震災でやっていた炊き出しなど、
国も民間企業も何らかのアクションを取りやすい。
だが、「相対的貧困」は難しい。
具体的なアクションプラン、コスト対効果が読みずらいのだ。
なぜなら、
- 義務教育以外への進学ができない。
- 就学や就活が満足にできず、自分がつきたい仕事に就けない。
- 生活に手一杯で、趣味や余裕のある生活ができない。
からだ。
これは人の価値観や進学希望の学校によって、かかる費用が変わってくるので、
一概に支援するといっても、どこまで支援するべきかの範囲限定が難しい。
特に最低基準があいまいなので、「最低限ここまで保証します!」といった線引きが難しいのだ。
とはいえ、小学校や中学校の給食費や修学旅行への費用が出せない!という家庭も存在する。こういった支援は見過ごすことができないのが現実ではないだろうか。
相対的貧困は憲法違反の状態なのか?
「相対的貧困」を国の責任にする輩の中には、相対的貧困は、憲法25条に違反していると主張するものがいる。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
ここで、非常に頭を悩ませるのが、「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か?ということだ。これほどあいまいな規範はあるまい。
それもそのはず、憲法の定義は、「国民の権利を国家権力から守る、保証する」ものであって、国が守るべき法律ではないからだ。憲法学の本を読むとすぐに理解できる初歩的な話だ。
左翼的ルサンチマンは、ここをはき違えて権利を主張するのだが、
憲法は、国がその領土に住む国民に対してルール(法律)を科すときの大前提、もっと平たく言うと「国の形の定義」であって、必ずしも国民生活全般に対して守られるものではない。
但し、国民に対して行政府(政府)や立法府(国会)が制定した法律が違憲の場合は別である。
実際に違憲判決がでるケースで有名なのは、選挙の1票の格差だ。
選挙法が憲法に違反していると司法がジャッジすると、政府や国会は、格差を是正する必要がある。
また、仮に国民の生活状態に憲法遵守を強制するならば、自衛隊は間違いなく憲法違反だ。
だが、実際に自衛隊は日本国民にとって必要だし、北朝鮮という現実的脅威がある以上、自衛隊を廃止するわけにはいかない。また、法律を運用する行政府や司法府(最高裁判所)は、自衛隊法が違法という認識はない。
話がそれたが、相対的貧困が憲法違反という認識は、明確な誤りである。
貧困貧困と声を上げても、誰も助けないし助けてくれない。
またまた、左翼的ルサンチマンをフルボッコにしたくてしょうがないのだが、
国家や社会の責任にした場合、どのようにすべきか具体的プランはあるのだろうか?
「貧困貧困」と声を上げても、誰も助けないし助けてくれない。
正直、これ以上社会福祉に回す財源は厳しいといってよい。
国会議員の給料を減らすのは得策であるが、削りに削った場合、後がなくなるのだ。
つまり、これ以上相対的貧困が拡大すると、財源の収拾がつかなくなる。
左翼的ルサンチマンは、そのコストに関する考え方がまったくもって欠落しているのだ。それでは、いつまでたっても政府支出が増え借金がかさむだけだ。
いや、日銀を使って、政府が円を大量に発行すれば、財源を確保することは可能だ。
但し、円の価値は著しく落ちて、ハイパーインフレになる可能性がある。
あとは、言うまでもないだろう。
じゃあ相対的貧困をどうするよ?
閑話休題。
相対的貧困を解決するのは、社会活動に任せるのが一番よい。
特に重要なのが「稼げるスキルを身に着けさせる」教育だ。
変な話だが、炎上覚悟でいうと、かつて若い女性が一番稼げるスキルは「売春」だった。世界で最古の商売といわれているくらい、重要があったのは事実だ。
だが「売春」は若い時には良いかもしれないが、長い間生きていくには不適当だ。
(フェミニストに首を絞められるかもしれないが)
とするならば、2つの軸で稼ぐスキルを身に着ける必要がある。
- 資産形成:資産をつくるために、自分の力でお金を稼ぐスキル
- 資産運用:自分がいなくてもお金を生み出すスキル
この2つはどちらも必要だ。若いうちは「資産形成」を磨けば資産は作れるが、年を取るにつれ仕事の選択肢が少なくなってくる。女性ならばなおさらだ。
となると、「資産運用」のやり方も知っておかなければ、年取ったときに生活できなくなってしまう。
となると、学歴よりももっと大事な「資産形成」「資産運用」のスキルを、義務教育のうちに学ばせることが急務なのではないだろうか?
どうやって稼がせるか?
また、企業側にも努力が必要なのが「資産形成」の部分だ。
今の若者たちの給料は、かつてのバブル期の2/3にあたるくらい少ない。
但し、物価はそれほど下がっていないため、子育てにかかる負荷は非常に大きい。
となれば、選択肢は副業ということになる。
企業は、働き方多様化のためにも、どんどん副業を奨励すべきだし、国家もそれを後押ししていく必要があるだろう。
私は、その稼ぎ方を伝えていくことで、一人でも多く「自由」を手に入れてくれれば幸いある。