起業したきっかけ(1)
2019年の元旦もそろそろ終わろうとしているときに、この記事を書いている。
というのも、今年の売上目標を見返したときに、ふと「なぜ起業したんだっけ?」と思ったからだ。
このシリーズでは、私が起業したきっかけや経緯を深堀りし、これから起業する人に以下のポイントについてお伝えしたい。
- 海外でも起業はできる
- 前職における人脈はバカにならない
- 新規案件の受注のめどがない状態で起業するなら、円満退社をしたほうが絶対に良い
- ストックビジネスの重要性
もともとは、しがないシステムエンジニアだった
20代前半の時に、紹介予定派遣でデータセンターのネットワーク構築や保守を行うネットワークエンジニア(SE)に従事したのが、キャリアの始まりだった。
その後、様々なプロジェクトを経て、いつの間にかプログラムを書くようになり、システムエンジニアになった。
もともと、目的のために手段を選ぶタイプではなかったことと、生粋のめんどくさがり屋なのが影響してか、
ネットワークエンジニアなのにプログラミングの勉強(VB.NET)を始めた。
その結果、ある程度の業務を自動化することができるようになったところで、
社内の人事異動でプログラミングを書いたり、システムの設計を行う、システムエンジニア(SE)に配置転換された。
今思えば、これが人生の1つ目の転機だったのかもしれない。
という大事なことを学習したのは、この時期だった。
実は、ネットワークエンジニアでの経験は、クラウド化が進んだ今でも生かすことができている。
モノつくりができる喜びは束の間。実力不足だった。
しばらくすると、会社の中の重要部門の1つである製品開発部門に所属した。
会社のプロダクトを担う重要な部門だ。
自分が作ったものが世の中の役に立つ
将来的に起業を考え始めたのは、この時期だったとと思う。
ゆくゆくは、このキャリア・経験をもとに、自分のプロダクトをリリースして、世の中に貢献したい!
そう思い始めていた。
・・・が、甘かった。
元々ネットワークエンジニアであるし、プログラミングは本をかじりながら勉強したレベルなので、情報工学をベースとしたプログラミングの書き方、学び方が備わっているわけではない。その時点で早くも実務で苦戦し始めた。
・設計書が書けない
本来、製品の設計書を書いてプログラミング担当に指示をしたり、汎用的なプログラミングを書いたりするのって、全然できていないんじゃない?と、痛感し、このまま今のキャリアを続けていいのか?が非常に不安になってきたのを、今でもはっきりと覚えている。
お客さんの顔が見えない中での葛藤
さらに、今までの仕事は、お客さんから直接要求があったことを設計したりプログラムを書くのではなく、社内の営業部門や企画部門から来た話をベースに開発を進めていた。当然のことながら、お客さんが真に求めるインターフェースにはならないし、機能も異なったり欠陥があったりと踏んだり蹴ったりだった。
センスのあるエンジニアであれば、社内の要求だけでも想像から素晴らしいものを作れるのだろうが、私にはそのセンスはなかった。
こう思った私は、製品部門から開発部門へと異動し、お客さんと対話しながらシステム開発を行うことになった。
ネットワークエンジニア、システムエンジニアを10年ほど務めた時である。
そうだ、起業しよう!
幸い、転属先が素晴らしい案件をたくさん持っていた部門だったので、すぐになれることができた。上司も素晴らしい人だった。
だが、お客さんの業務から解決案を提示し、そのシステムを作る・・・といったスキームに慣れてきたころ、ふと思い出したのだ。
すでに、この時点で30代前半。あと数年もたてば40歳になってしまう。
その時家族がいたら起業できるのか?起業して失敗して40歳を超えたら、就職先があるのか?
そういった不安が日に日に膨らんでいった。
そして、決断した。
こうして、会社員11年目で、起業を決意し会社を辞めた。
次回
次回は、起業を決意し会社を辞め、その後の苦悩と売り上げを立てるまでの道のりについてお伝えしようと思う。